雑記

自分の行為を振り返ること

自分の日記を書くのが実は苦手だ。ひとさまの文章の揚げ足を取ったり、自分で体験していない嘘っぱちを書くことは大好きなのだが、こと自分のこととなるとどうしても筆が乗らない。たぶん、文筆家の端くれとしては致命的なことなのだろうが、こればっかりはどうにもならないような気がする。

と、言いながらこのブログ自体が日記なのだからつじつまが合わないという気もしないではない。ならばここに書くことを全部嘘で塗り固めてしまえばいいのだろうが、僕にはそれだけの想像力というものも存在しないらしい。だから、このブログに書くことは日々起こったことをありのまま書くのではなく、それを基にした創作だ、という位置づけだと思っていただければ幸いである。基本的に事実であるが、事実を誇張してある場所がどこかにあるかもしれない。もしかするとないかもしれないが、まぁ読んでいただいた人が時間を無駄にしたな、という思いを抱かないようなつくりにしておきたいと思っている。

まぁ、今になって何をぐだぐだと書いてきたのかというと、僕の文章を読んでつまんねーと思われたくないな、というただの予防線である。こういう日記を書くことに何の意味があるのかよくわからないが、ご容赦いただきたく申し上げるしだいである。


さて今日の日記の本題であるが、明日までに書かなければならないリアルな仕事の原稿がまだ一行も書いていないという現実から逃れるための逃避であることを最後に記しておこう。原稿用紙10枚程度の短いパブリシティなのだが、この仕事を思い出したのが実はこの日記を書く数十分前で準備がまったく整っていないのである。これから取材に行った際のテープを聞きながら、会社から渡された資料を読み、原稿をまとめる作業に入るわけなのだが、正直やる気が全くでない。

と、いうわけで妻と娘が風呂に入っているこの時簡にこうしてこそこそとブログを更新しているしだいである。以上。

ちなみに今の現状はリアルに脚色はない。

C級雑誌

モノを書いてお金をもらえる場合っていうのは、その情報に対してお金が発生する場合と、文章そのものに対してお金が発生する場合があるようだ。前者については情報それ自体に価値があって、後者は情報よりも文章力に価値があるということでいいのだろう。

とは言ってみても、文章力があっても情報に誤りだとか明らかな取材不足がある場合には突っ込みを入れてみてもいいんじゃないかな、と思う。読んでもらう文章がある以上その中身がすかすかだったりとかウソばっかりだったりしたら職業倫理に触れるようなこともあるだろう。大体自分の守備範囲じゃないところまで手を広げて、無理やり書いた文章なんか面白くも無いはずだ。どうしても、そういうところが書きたければ、もうちょっと取材すればいいじゃない、と個人的には思ってしまうのだ。

と、前置きはここまでにしてメインの話。
僕はC級週刊誌というものが意外と好きだ。インターネットで引っ張ってきたような情報をまとめて本にしてしまったような雑誌、多分モノカキの倫理観とか職業意識とかそういったものは殆ど無いやつらが作ったような雑誌だろう。最近コンビニなんか行くといっぱい並んでる、見たことの無いような雑誌がそう。明らかに雑誌コードの使いまわしだろう。

売れない雑誌っていうのは作っているだけで赤字になるからさっさと作るのをやめちゃった方がいい。でも、そのあとで新しい雑誌を作ろうと思った時にまた新しくコードの申請をするのが面倒くさいから、「廃刊」でなく「休刊」にしてるわけ。つまり、Aという雑誌が売れなくなって「休刊」した時に、その雑誌のコードだけは持ち続けて、新しくBという雑誌にそれを使いまわしていくというわけ。その結果Bと言う雑誌はAと言う雑誌とは全く別のものでも、分類上はA=Bということになる。

試しに国会図書館とかで、自分の好きな雑誌の創刊号をリクエストしてみればいい。たまに、全く違う雑誌が出てきてびっくるする事があるから。僕も結構体験してるけど、多分氷山の一角。

話を戻そう。
そんな感じでいい加減に作られてる雑誌っていっぱいあるわけだ。野球専門雑誌みたいなことを書いてて、中を見たら広告は貸し金と出会い系ばっかりなやつってのはその典型。一番広告集めやすいし、あるいはその会社とつながってる。そんな雑誌。

そういう雑誌の1つを読んでいた時の話。
その雑誌もご多分にもれず、適当な記事を並べて出来上がったようなもので苦笑する事しきり。なんかアイドルとの対談記事みたいなコーナーもあったんだけど、レイアウトがプレイボーイでやってらクドカンのコーナーそんまま。しかも、出てるアイドルが誰だかわかんね。さすが貧乏雑誌。

こういったパクリなんてものにいちいち目くじら立てても仕方ないわけだけど、作ってるほうにしてみれば案外気分は悪い。以前僕が作ったパブリシティ広告が別の雑誌で同じレイアウトで見つけたときはかなりビックリした。僕のような零細広告屋ですら真似されるくらいだから、大手なんかは推して知るべしだろう。なかなか、こういったところに著作権とか主張するのは難しい。僕の場合は苦笑いして泣き寝入り。

で、その中に辛酸なめ子が書いたお笑い論があったのだが、これがまた的外れでどうしようもなかった。と、いうのが彼女は若手お笑いと言うものがどういうものか良く分かっていないらしく、何がおもしろいのか良く理解できないようであったのだ。多分、編集としてはそれはお笑いを良く知らない人間が見た今のお笑いブームを狙ったものだったのだろう。

その最たる文章がお土産コーナーを見たときに彼女が感じた違和感にあるのだろう。彼女はある芸人のサイン入りグッズを見て、売れないお笑い芸人の哀れさを感じる。売れない芸人はこんな扱いになるんだと。

でも、ちょっと待てと。
お前が見たのは島木譲二のサイン入り灰皿だろう。

島木譲二といえば、吉本新喜劇の重鎮で灰皿で頭をたたくポコポコヘッドは彼の18番ではないか。つまり、このサイン入りグッズは灰皿にサインが入っている事に価値があるわけで、別に売れない芸人に対する制裁でもなんでもないわけだ。

こんな事はまともな雑誌だったら普通に校正が入るわけだ。こんなものが簡単に乗ってしまう事がC級のC級たる所以なのである。だから、楽しいのだ。いや、楽しいだけではすまないこともあるが。

情報に対してお金を払っている以上、我々はもう少しだけ賢くなったほうがいいと思う10月1日。

最強だって。

昨日のK1見て思った事。

K1の勝敗はノックアウト以外は、主催者判断でどっちが客を呼べるか


そうでしょう、だって武蔵勝ってた?
ボンヤスキー勝ってた?

どんなに贔屓目に見てもドローと違いません?

少なくとも、武蔵vsボタは武蔵の圧勝なわけねーべさ。
今回おいらは中継の音消して、実況が全く入らない状況で見てたんですが(なぜ、そんなことしてたのかは内緒)動きとか、打撃とか、積極性とかどう見たってボタが上まってましたぜ。
だから、ラウンド終了のプレビューが何故か武蔵がたまたま攻撃したシーンだけだった時には「まさか」と思ったくらい。

可愛そうに、武蔵君。判定で自分が勝った瞬間に困った顔してましたな。
どっかのスポーツ新聞には、KOできなかったことに対する不満とか書いてありましたけど、正直な所「あれ、こんなんで勝っちゃった、どうしよう」でしょう。あの表情は。

あんまりあきれちゃったんで、最後のサップvs韓国巨人(名前失念)は見る気なくしてねちゃいました。

立ち技最強の格闘技。






ばっかじゃねーの。



(チラシの裏)

詐欺ダイレクトメール

先日「株式会社日本信販」と名乗る会社からダイレクトメールが届いた。
僕は基本的にカードを持たない主義なので、なぜこんなメールがきたのか謎だったのだけど、中身を見て驚いた。

どうやら、新手の闇金らしい。

せっかくなので、そのダイレクトメールを晒してやろうかと思ったのだけど、如何せんスキャナの調子が悪く、取り込むことができない。しょうがないので、文章で書き起こしながら晒しあげようとおもう。

まず、いきなり飛び込んできたのは、代表取締役社長の挨拶文。

(引用開始)
お客様に、社会に貢献する企業の実現に向けて。

日本信販では、お客様との“信頼関係を築いてゆくこと”を信条とし、この信条の元、お客様の総合的なファイナンスサービスの提供を行ってまいりました。

中略

これからも日本信販では、お客様に信頼される企業となります様、社員一丸となって、努力を続けてゆく所存でございますので、是非皆様方からのご愛顧を賜ります様、略儀ではございますが、書中をもちましてごあいさつ申し上げます。

株式会社日本信販 代表取締役社長 大森 宏茂

(引用終了)

なるほど、もっともらしい。
で、右側に500万まで貸すと、しかも年利は6.8%だと。
しかも、いつのまにか僕は事前審査をパスしたらしい。

このおハガキは、事前審査を通過されたご融資可能な方へのご案内状です。
だって。

とりあえず、これが日本信販とまったく関係のない会社であることを確認したかったので、「本物の日本信販」に電話してみることにした。

以下やりとり。
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羽ばたく前に、ちょっと考えるべし

文章を発表する際にはかなり慎重な姿勢と態度を必要する。それは、こういったネット上であっても同様で、いやむしろ誰もが簡単に投稿でき、簡単に読めるネット上であるがゆえに気をつけなければならないことかもしれない。

インターネットが発達するまでは文章を発表することは限られた人間にのみ許された特権であった。才能と、一種の運、時勢にうまく乗ったときにのみ与えられる天分であったと思われる。それは文章、文学というものを一種閉塞させることにもなったのだが、あるところにおいては文化の崇高さを保つ上で大きな役割を果たしてきたのかもしれない。

しかし、現在において自らの意見を発信することはさほど難しいことではなくなった。目にとまったこと、日常ふと感じたことをその場で発信することができるようにもなった。それはこのブログというツールの登場によってさらに簡単になってきたようにも思える。これまでは一部の人間によって独占されていた文章による意見の発信が、すべての人々に解放されたことは喜ばしいことなのかもしれない。

ただ、しかしこういった「簡単に発信できる」という状況にも大きな弊害がある。それは、発言に対する責任感の薄さが顕著になってきた、ということである。耳に優しい文章、なまじっか聴きやすい言葉を感じた人物がなまじ考えもせずに賞賛したり、否定したりする記事を最近よく目にする。

僕のブログに限ってみても、記事の内容とまったく相反する内容のTBを貼ってあることをたまに見かける。響鬼レビューにしても僕は手放しで褒めているものばかりでないし、否定的なことを書くこともある。多分ほめたりしたほうが耳障りのいい記事なんだと思う。しかし、僕の意見である以上ほかの人と同じということはありえないし、読んでもらう人がいる以上うそはかけないわけである。それゆえに、いつもお世話になっているサイトさんであれ論調が違えばTBなど貼れない。それは僕のけじめでもあるわけだが。

さて、本題。
ホワイトバンドキャンペーンが盛り上がっているようだ。世界の貧困撲滅キャンペーンの一環だということである。これはこれはいいことだ。

ただ、しかし、ネット上で盛り上がっている方々の記事内容の薄いことには正直閉口している。前にも書いたが、文章を発信するということは絶大な責任感を要する。このキャンペーンによって主催団体の理念に共感し、これからはまじめに貧困問題について考えていこうという姿勢を感じさせてくれる人はほぼ皆無といってみてもいい。あまつさえ、このキャンペーンに否定的な意見を書いているサイトに「ホワイトバンド買いました」記事を何の疑問もなく貼り付けている方もいらっしゃる。ただ、ホワイトバンド、と言うキーワードがあったが故にであろう。とりあえずそこの記事をちゃんと読んでいれば、自分の記事を貼れるかどうかなどすぐにわかるだろう。

「成さぬ善より、成す偽善」という言葉はものすごく耳障りがいい。それゆえに一気に浸透してしまった。多分、僕のこの記事にもこういった批判がつくのは目に見えている。ただしかし、現実問題として一時期のキャンペーンで盛り上がった社会問題はすぐに風化する。そして、時代遅れの問題となってしまえばもうどこにも相手にされない。

貧困だとかの問題は一過性のものではどうしようもない。もっと本質的なことを議論していかなければ、永遠に続くものだろう。

バタフライ効果というものがある。カオス理論を端的に証明する有名な話だ。あるブログではこんなことをいっていた。

「北京で蝶が羽ばたくことで、ニューヨークで雨が降ることがあるかもしれない。私のこの発言は小さいかもしれないけど、これが恵みの雨を降らせることもあると信じています」

北京で羽ばたいた蝶が、ニューヨークで大洪水を引き起こすことは考えられないようだ。
カオス理論におけるバタフライ効果は、計算に当てはめることさえできないささいな狂いが、最終的に大きな誤算となりうる証明でもある。NGO団体の思惑がネット上での「蝶の羽ばたき」によって狂いが出ないかどうか心配である。


※この記事は MinorPenta-Phrase さんのこちらの記事に触発されたものです。
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